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ニヤマ高原スキー場の思い出 2022/3/8 火

 

 ニヤマ高原スキー場、北海道新幹線新函館北斗駅から在来線で1駅の函館本線・仁山駅から徒歩2分で行けるスキー場です。思い出と言っても現在もあります(2022/2/27がシーズン最終日)。
だけど昔の広大なスケールの仁山高原スキー場(ニヤマは昔は漢字表記)時代から見ると虎が子猫になったくらいの縮小営業になってます。
写真はきじひき高原パノラマ展望台からの写真で中央に今は運行されない第3リフトの山頂駅が見えてます。


1960年代前半
 記憶に出てくる仁山高原の最初は1960年代前半のとある夏の日です。リフトができたということで父と母に連れられて行ったのを覚えてます。リフトでは父の膝に乗っていたから私は幼稚園くらいだったのでしょう。そのリフトは現在のニヤマ高原スキー場高速クワッドリフトの隣に鉄塔だけが残っている旧第1リフトです。夏でもハイキング用に運行されていました。夏の運行は1970年代まではやっていたと記憶してます。

 この時期は1956年のイタリア・コルティナ・ダンペッツォ冬季五輪で猪谷千春選手が回転で銀メダルを取り、トニー・ザイラー選手が回転、大回転、滑降で3冠の金メダルに輝きました。トニー・ザイラーはその後映画スターとして来日。そんな背景があって日本各地でスキー場建設の機運が高まっていたのでしょう。

1960年代後半〜1970年代前半
 スキー目的で仁山高原スキー場へ行くようになったのは小学校3年か4年の頃でした。国鉄の普通列車で気楽に行けました。当時の駅名は仁山信号場で客車を引っ張っていたのは蒸気機関車。駅のホームにはアイヌの英雄コシャマインの像が立ってました。列車は仁山信号場から先は蒸気機関車にはきつい急勾配だったのでここでスイッチバックして勢いをつけてから次の駅へ。

 その頃の仁山高原スキー場は現在動いていない左端のB線あたりにはTバーリフト、A線あたりにはロープトー、そして高速クワッドのあたりには珍しい途中で乗降できるホームのある第1シングルリフトがありました。Tバーリフト乗り場の前には雪華荘というロッジがあって食事や宿泊ができました。レッスンや検定を受ける人は雪華荘前に集合というアナウンスがよく流れていたものです。第1シングルリフトの終点まで行くとリフト脇に恐ろしいほど急な斜面があってそこで宮様スキー大会や中体連、高体連が行われていました。フリコ沢は全くのコース外で大会用の超急斜面の下側の急斜面までは山道みたいなルートを斜滑降で行きました。
 
 第1リフト降りるとその先には第2ペアリフト(現在もあるけど動いてない)があって降り場にはパラボラアンテナのある建物がありました(今は解体されてありません)。そこからすぐ滑り出すとコブだらけの急斜面がありました。

 第2リフトを越えて更に進むとコル部に大きなロッジがあり中は食堂と休憩所だったな。
そこから少し登ったところに第3リフト乗り場があってその終点が最初の写真の場所です。

1970年代後半〜1990年代前半
 現在動いているC線ペアリフトができたのはこの時期後半です。空前のスキーブーム到来で高速クワッドリフトもできました。そしてフリコ沢に大きく手が加えられてすり鉢状のフリコ沢コースができます。前半の時期私は東京、そして札幌に住んでいたので滑る機会が少なく、後半、函館に戻って1990年代初めに人生初のスキーレッスンを受けて第3リフトのゲレンデでSAJの2級検定を受けたりしました。結果はダントツの不合格、ニヤマスキースクールで恐らく最低点数を更新し、最後まで破られることはなかったに違いありません。友人が撮ってくれたビデオを見ると3級でも怪しいレベルの下手っぴさで自分でも驚くやら情けないやらでこの時から本当のスキー修行を開始しました。

1990年代後半〜2020年代
 この時期の前半はナイターシーズン券が安かった横津岳国際スキー場へ山替えして2級を取得し、ニヤマ高原スキー場へはたまに来る程度でした。2000年頃にはスキーブームがすっかり冷え込んで横津岳国際スキー場は2005年に営業終了。1995年から2005年はスキーにほとんど行ってません。
 2010年頃からメタボ対策のために再びニヤマ高原スキー場へ通いました。高速クワッドリフトが運行していたのでフリコ沢を滑ることができ、函館から近いこともあってナイターが絶大な人気のスキー場でした。フリコ沢では休日は日中、平日はナイターでジュニアのレーシングチームが旗門を立てて練習していました。昼間は第2リフトまで動いていて昔はコブだらけだった急斜面は全くのナチュラルバーンで深雪急斜面練習、第2リフトからC線リフトの上部に抜けるジャイアントスラロームコースは名前からは想像のつかない圧巻のナチュラルバーンを楽しむことができました。
 しかし2019年からシーズン券とシニア料金が廃止、2020年からは高速クワッドリフトと第2リフトの運行が終了。リフトはA線、C線のみになってスキースクールもジュニアレーシングチームも解散、子供連れと初心者と混雑が嫌いな人以外には魅力のないスキー場になってしまいました。



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