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1995年に廃刊になった月刊マイコンという雑誌がありました。マイコンという言葉自体既に死語となって久しいですが当時はかなり売れていて週刊少年ジャンプくらいの厚みがあり、その2/3くらいは広告が占めていたかも。
パソコン市場が日本国内ガラパゴス状態だった1980年代、メーカーによって少しずつ異なるOSのBASICを採用しており自分でプログラムするという使い方が普通でした。販売されるワープロソフトや会計ソフトは特定のPC機種専用に作られていました。店頭では機械語で組んだスペースインベーダーゲームをデモしていたことを思い出します。
16ビットマシンが出てくるとOSとしてMicrosoftのMS-DOSが使われるようになります。最初の頃は表計算ソフトのマルチプランの他、使いづらいのが有名なラインエディタ、結構高機能なマクロアセンブラ、リンカまで付いていてその気になればプログラム開発も可能でした。その少し前にはDigital Research社のCP/MというOSもありました。日本以外ではIBMのPC/AT互換機が売れていたようです。
同じ頃、Apple の Macintosh(今はマックと呼ばれてる)が現在は当たり前になっているGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)を採用して世界をあっと驚かせます。発売当初、メディアではAppleがIBMのPC/ATの1光年先を行ったという記事を見ました。確かにコマンドをオプション付きで1文字ずつ打ち込んで操作する環境・コマンドプロンプトから見たら夢のような使い勝手に見えました。それでMicrosoftはWindowsを開発することになります。
話がかなり横道に逸れましたがガラパゴスの戦国大名はダントツ首位がNEC、そして富士通、東芝、日立、シャープ、SONYなどがそれぞれのブランドとなって記事や広告を飾っていました。
それらPC覇者たちの現在を調べてみたらSONY以外のパソコン部門はほぼ全部が海外メーカーに併合または海外メーカーのOEMを扱うようになっていました。
- NEC → Lenovo(中国)
- 富士通 → lenovo(中国)
- 日立 → 自社製造からHP(米国)のOEMを扱う
- 東芝 → シャープに売却(シャープは既に台湾企業)
- シャープ → 鴻海精密工業(台湾)
- SONYのVAIO部門 → VAIO株式会社(日本)
といったところです。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎的気分になりました。
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