待っていた花が咲いたよ 2024/5/1 水

榎本武揚 箱館戦争とその後の処遇について 2023/4/30 日 

 榎本 武揚は幕府海軍の西洋式軍艦・開陽建造の監督および技術の習得のためオランダに留学し、他国の侵略から日本を守るべく意気揚々と帰国したのですが、開陽と榎本武揚を待っていたのは倒幕の嵐でした。

 幕府海軍副総裁だった榎本武揚は新政府軍への軍艦引き渡しを拒否して品川沖から八隻の軍艦で脱走しましたが、脱走当時の榎本武揚の考えとしては、藩籍奉還で失職した武士の救済のためにも蝦夷地開拓に向かうということでした。蝦夷共和国設立のための組織編成のために、日本で初めて選挙を行った人でもあります。戊辰戦争後は投獄されましたが、1872年に赦免された後、開拓使で開拓調査にたずさわり74年に海軍中将・特命全権公使となります。1875年に樺太・千島交換条約を締結、シベリアを馬車で横断して1878年に帰国。その後、海軍卿のほか逓信相・文相・外相・農商務相などの要職をつとめました。


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