待っていた花が咲いたよ 2024/5/1 水

五稜郭と土方歳三 2023/4/29 土

  昔、私のホームページに掲載していたものをブログに移植しました。
五稜郭と土方歳三
 新選組副長・土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、新選組を率いて各地を転戦北上し仙台で旧幕府軍副総裁榎本武揚率いる脱走艦隊と合流しました。
土方歳三という人は新選組においては近藤勇、箱館戦争においては榎本武揚のもとで副官として活躍しています。大きな力を持ちながら参謀としての役割を果たすことに長けていた人だと私は思います。

 箱館戦争で旧幕府軍が次々と敗退する中、土方歳三の守った二股口(大野町・平成18年2月から北斗市)は最後まで陥落しませんでした。二股口の戦いは台場山砲台を中心にして16時間におよぶ銃撃戦、大変な激戦であったと言います。近くに無名戦士の墓があるから戦死者も多かったのでしょう。明治2年(1869)旧暦6月20日(新暦5月11日)新政府軍の五稜郭攻撃が開始されます。(五稜郭は当時箱館の郊外、亀田村でした。) この時、土方歳三は箱館奪回を目指し50名の兵と共に五稜郭を出て箱館の市中に向かい、旧箱館と亀田村の境界にあった一本木の関門を抜け、敢然と切り込んで行くのですが銃弾を浴びて生涯を閉じることに。享年35歳でした。

 死を覚悟していた土方は辞世の歌を残しています。
たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも
魂は東の君やまもらん



若松町にある土方歳三最期の地
  
碑石と一本木の関門
土方歳三の戦死した場所ですが、現在あいよる21という市の福祉センターの前に碑石があります。石碑の前に置かれた歳三の写真の隣りに戒名が歳進院殿誠山義豊大居士と記されていました。土方歳三の最期の地は他に大手町や末広町だという説もあります。


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