待っていた花が咲いたよ 2024/5/1 水

箱館戦争のあらまし 2023/4/28 金

 昔、私のホームページに掲載していたものをブログに移植しました。

脱走と蝦夷共和国設立
 慶応4年(1868)8月19日(新暦10月4日)、旧幕府海軍副総裁榎本武揚は新政府軍への軍艦引き渡しを拒否し8隻の軍艦で品川沖から脱走し、北へ向かいました。10月20日(新暦12月3日)には鷲の木(森町)へ上陸し、10月26日(新暦12月9日)に箱館・五稜郭を占拠します。榎本武揚が目指していたのは箱館を首都とする蝦夷共和国の樹立でした。12月25日(新暦2月6日)には蝦夷共和国の設立を宣言しております。実はこのとき列強諸国はこの蝦夷共和国を、日本列島に存在するもう一つの政権として認識していたそうです。

当時の日本で最強の軍艦だった開陽
 榎本軍の軍艦のうち開陽はその時点で日本最強の軍艦でした。しかし、開陽は明治元年(1868年)11月15日(新暦12月28日)北海道の江差沖で暴風雨のため座礁・沈没してしまいました。一方、明治新政府軍は強力な装甲とガトリング砲を装備した甲鉄艦(ストーンウオール・ジャクソン号)を入手します。この船は当時の軍艦では相手にならない強力な船でした。8月25日(新暦5月6日)、旧幕府軍は、軍艦回天を使い、宮古湾に停泊中の甲鉄艦の奪取作戦を強行しますが、失敗に終わり回天は箱館へ逃げ帰ります。これが宮古湾海戦です。

明治新政府軍の逆襲
 明治2年(1869)4月9日(新暦5月20日) 青森で待機していた新政府軍が乙部に上陸し、江差を占領した後、松前・木古内・二股・落部方向へ分れます。 4月10日(新暦5月21日)に 木古内の新政府軍が進軍を開始しました。 5月11日(新暦6月20日)には 新政府軍による総攻撃が始まります。函館山裏手から山を越えて奇襲するという作戦で箱館および四稜郭方面を制圧しました。函館山の裏側は断崖になってますので、予想外の作戦と言えましょう。この戦いで土方歳三は戦死し、5月12日(新暦6月21日) には新政府軍による降伏勧告交渉が開始され。5月17日(新暦 6月26日)榎本軍は降伏を決定します。 5月18日 (新暦 6月27日)五稜郭が明け渡され箱舘戦争は終結しました。


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