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写真は10年前(2013)に山川牧場牛乳から撮影したもので2023年現在では植林された木が成長してゲレンデ跡もはっきりしなくなっています。
私が小学校高学年から中学校時代(1960年代後半から1970年代前半)に良く行ったスキー場でスキー遠足もここでした。JRが国鉄だった頃の大沼駅(大沼公園駅の隣)からスキーを担いで30分ほどかけて歩いて行きました。客車を引くのは驚くなかれ蒸気機関車。ロッジまでは長い急坂の道を登って行くのが大変だったことを思い出します。当時のスキー靴は登山靴みたいなもので今のように足首の角度がきつく固定されないから歩けたのですね。ロッジにはドラム缶を半分に切ったようなストーブがあってお昼には友達とアルミホイルに包んだお握りを乗せて温めて食べた楽しい思い出があります。
ゲレンデにはトニー・ザイラー主演の映画「白銀は招くよ」のテーマ曲が流れていたっけ。
沿革を調べて驚いたのですが大沼スキー場(1984年開業の現・函館七飯スノーパークとは違う)として開業したのが1925年だそうです。函館近郊でスキー学校が初めてできたのもここらしい。歴史のある吉野山スキー場でしたが1988年に閉鎖されたとのこと。
写真では手前の林に隠れるあたりにロープトーのある緩斜面があってその下には今は見ることのない馬ソリが通る道が雪の中に掘られていました。
ゲレンデらしく見えている左側には第1・第2リフトが縦列に、そして右側の少し狭いゲレンデに第3リフトがあって、その乗り場へは第2リフトから林の中を通る狭い道を滑り降りて行きました。リフトの斜面はかなり斜度が急で私は斜滑降とシュテムターンで恐る恐る滑ってました。そこをウェーデルンで颯爽と滑り降りる友人達を見てすごいことできるんだなぁ!と感心したものです。雪の多い年には雪面と搬器の間が近くなってスキーのトップが雪に刺さってずり落ちたこともありました。
1984年に現在の函館七飯スノーパークが当時は函館七飯大沼スキー場としてオープン、翌年にはゴンドラが営業開始したことも吉野山スキー場には厳しい環境になったのでしょう。
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