桔梗高台と七飯町あかまつ公園 2024/11/21(木)

戦争へ行った父から聞いた話 その4 新任地・房総白浜へ

   終戦までの半年間だけ戦争へ行った父の語った話 その4は新任地・房総白浜へ、ここでは戦闘や攻撃を受けた体験になります。

新任地へ
 旭川での訓練を終えて新任地へ運ばれることになった父の部隊は貨物列車の天井に届くほどの弾薬を積み込んでその上に兵隊が乗って移動したそうです。故郷函館を越えて連絡船で津軽海峡を渡り、千葉県の房総白浜へ連れて行かれました。実は弾薬満載だったのは海外へ行く予定だったからで、本来の行き先は硫黄島だったらしいのです。しかしその直前の3月26日に硫黄島の日本軍は玉砕してしまったので米国の本土上陸に備える首都圏防衛のために千葉へ送られたということらしいです。父が硫黄島へ行っていたら私が生まれることはなかったでしょう。
房総白浜では寄宿する場所がなくて漁師の家に分散して住まわせていただいたということでした。

艦砲射撃
 最初は敵艦の種類を見分けられるように船のシルエットを見てどの船か分かるように訓練を受けたということです。でも実際は船が見えないうちに水平線がぴかっと光ると砲弾が飛来したそうです。実際、調べてみたら7月18日に房総白浜が艦砲射撃を受けたという記録が残っていました。
 私が子供の頃にTVドラマでヴィック・モロー主演のコンバットというのを放送していましたが砲撃のシーンでヒューンという音とともに砲弾が炸裂するというのがよくありましたが、父が言うには
「あれは間違ってるよ。音が聞こえるうちは近くに着弾することはないんだ。聞こえなくなったらすぐに伏せないと危ないんだ。」
ということでした。

銃撃戦
 敵は飛行機か船だったので人対人の銃撃戦は経験しなかったということですが、他の任地から来た先輩兵士の中には銃撃戦で弾をヘルメットに受けて助かったという経験をした人もいたようです。弾がヘルメットを貫通したら即死しそうなものですが斜めに入射した弾丸がヘルメットの内側を滑って入った穴から出ていくことがあるらしいのです。命は助かりますけど孫悟空の頭の輪みたいな形のハゲができてしまうということでした。
 父は重機関銃手だったので戦闘機との撃ち合いは経験したそうです。通過する戦闘機を撃ったらパパパンと何発か胴体に当たりました。穴が空いたけど墜落するほどのダメージはなくてすぐに旋回して操縦席の風防をスライドさせて身を乗り出してどこのどいつだという顔で睨んで行ったそうです。顔もはっきり見えて年齢は丁度父と同じくらいの若者だったようです。父はよく、
「あいつと会って話がしてみたい。」
と言ってました。しかしその時はそれからが大変で敵機から何回も往復しての狙い撃ちに合い、顔を上げることも出来なかったそうです。重機関銃は土嚢で囲んでありますがそこら中土煙と跳弾でバチバチ音がして生きた心地がしなかったそうです。そのうち弾が尽きて帰って行き怪我もせずに済みました。機銃掃射の弾丸を腹に受けて腸の飛び出した兵士を見たこともあったようです。

機雷を固定する決死の任務
 時化のあった後で、
「泳ぎの達者なものはいるか?」
という上官の問に手を挙げて答えた父は手を挙げたことを後悔することになりました。
大型の機雷を係留する鎖が切れて波打ち際で転がっているから鎖で固定して来いという命令を受けたのです。爆発したら4km四方が吹き飛ぶと言われたそうです。
波でごろごろしている機雷には2本の触覚が出ていてそのうちの一本は折れていたそうです。決死の覚悟で鎖を巻きつけて何とか固定に成功し生還できました。
これって勲章もんじゃないでしょうか? でも受勲はしてません。

戦闘機の爆弾で飛ばされる
 戦闘機の攻撃は機銃だけでなく爆弾も投下します。そのため防空壕もあるのですけど、ある時すぐに逃げ込めばいいのに戦闘機を見ていたら50mほど先に爆弾が投下され爆発。爆風で防空壕内に飛ばされ気を失いました。爆風は字では風ですが畳で全身を殴られるような衝撃だったそうです。近くで起こる爆発の音は意外と小さなものだそうです。でも1週間耳が聞こえなかったそうです。

赤チン攻撃
 陸軍の就寝ラッパを
「新兵さんは可哀想だね、また寝て泣くのかよ〜♪」
と覚えるんだと教えられたそうです。意地悪な上官に虐められて新兵が泣くという歌になりますが寝静まった後でいつもひどい目にあわせる上官に復讐することがあったそうで、
それが赤チン攻撃。今の傷薬の代表は透明なマキロンですが昔はマーキュロクローム、通称赤チンが普通でした。塗ると金属光沢を帯びた赤い色に染まります。前後不覚で眠る上官のパンツを下げて赤チンで落書きし放題。
朝になって気づいても後の祭りです。本人も恥ずかしくて怒るに怒れなかったようです。当分恥ずかしくて風呂にも入れなかったかも知れませんね。

山の手と横浜大空襲 空を埋め尽くすB-29
 東京大空襲は3月10日なのでまだ父は千葉に来てませんでした。5月、6月には山の手大空襲があってこれは見ていたようです。空を埋め尽くすB-29の編隊を見て、もう日本は勝てないと思ったそうです。

そうして8月に終戦を迎えました。戦争の経験はしたくないし誰にもして欲しくないですね。

 


https://bikesummerskiwinter.blogspot.com/2020/08/blog-post_11.html その1 敗戦 

https://bikesummerskiwinter.blogspot.com/2020/08/blog-post_59.html その2 帰郷 

https://bikesummerskiwinter.blogspot.com/2020/08/3-7.html その3 旭川第7師団練兵場



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