待っていた花が咲いたよ 2024/5/1 水

忘れちゃいけない、第五福竜丸

 夢の島公園にある東京都立第五福竜丸展示館というのをご存じでしょうか? 1954年3月1日、南太平洋で操業していたマグロはえ縄漁船、第五福竜丸の乗組員は朝陽が西から昇るのを目撃しました。この光はビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験の閃光でした。やがて空一面を覆った黒い雲から白い灰を大量に含んだ雨が降り、雨がやんでも雪のように灰が降り注ぎました。放射能を大量に含んだ灰、いわゆる死の灰です。2週間後に帰港した乗組員は新聞のスクープ記事を見て初めて自分たちが放射能に被爆したことを知ります。そして、無線長の久保山愛吉さんが放射線病で亡くなりました。広島、長崎の原爆に次いで日本は水爆でも被爆の被害者を出していたのです。久保山さんの最期の言葉は
「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい。」
でした。
 



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