私の経験した最大の地震は1968年十勝沖地震でした。
1968/5/16 9:48に発生、北海道・東北を襲ったマグニチュード7.9、最大震度5の地震です。最死者52名、負傷者330名、家屋の全半壊3,000棟以上という被害の程度から考えると最大震度はもっと大きかったのではないかと私は思ってます。
私の記憶に残っているのは函館で鉄筋コンクリート4階建ての函館大学の1階部分が潰れてしまったのと青森県 旧名川町(現南部町) 剣吉中学校では盛土の上に作られた校庭が地すべりで崩壊し巻き込まれた児童4名が犠牲になったことです。不幸な事に校舎下の地面が斜面に沿って崩落し建物の中央部校庭への出口付近の地面がなくなって宙に浮いたようになってました。
津波の被害もかなりあって青森県の三陸海岸で5〜6m、北海道のえりも町では2.7mの津波が襲来、函館湾の魚市場でも浸水して魚の箱が多数流れる被害がありました。
ここからは当時小学6年生だった私の経験したことです。
教室での授業中、窓ガラスがカチャカチャと鳴り始めました。
それまで大きな地震の経験がなかったので地震とはその程度のものという認識でした。
しかし、本震が始まると様相が一変します。床が大きく揺れ動き柱がギシギシときしみだします。教室の後ろにおいてあった防災用のバケツから飛び出す水、窓の外では校庭の遊具・登り棒が怒り狂った生き物のように体を揺らす姿が!
もう生徒たちは私を含めパニック状態です。
先生が廊下に出て隣の担任と相談、校庭に避難することになりますがそこからの光景は映画のシーンのようでした。両側から壁が崩れて煙のように降り注ぎ、廊下は繋ぎ目が開いてカーブを曲がる電車のように蛇行していました。
校庭に出ると海のように波打つ地面。
校舎の煙突は曲がってぐにゃぐにゃで今にも倒れそうでした。
校庭に全校生徒が集まると校長先生が今日はこれで家に帰るけど気を付けるようにと。
家に帰る途中では材木置場の材木が全て倒れて道路を塞いでました。それを乗り越えてやっと帰った家で祖母の無事を確認。家の縁側廊下の引き戸は元あった場所から動いておかしな具合に並んでました。
夕食後の午後7時39分に最大の余震が発生、函館は震度4ということだったけど最近の地震での震度4とは比べ物にならない揺れで外に出ても木につかまってないと立っていられない状態でした。そして揺れが激しくなると照明が瞬断して真っ暗になり同時に空が不気味な緑色に光るのが見えました。地震発光です。松城群発地震でカメラに収められて話題になりました。でも松代地震の記録では緑色の光は見られなかったらしい。
地震発光らしいものはその後一回別の場所で見たけどそれはまた別の機会に。
余震が続き、トランジスターラジオのニュースではその度に只今の余震は震度◯、マグニチュードは□と流れてきました。
家は今にも倒壊するのではないかという有り様で、家族は庭にムシロを敷いて一夜を明かしました。余震の度にラジオから「ポーン、只今の余震は・・」というのを聞きながら眠れぬ夜を過ごした嫌な思い出です。
6年生は青森への修学旅行から帰って少し経った頃で、お世話になったバスガイドさんに手紙を書いたりしてました。ガイドさんの返事に地震の時も修学旅行の最中で、青函連絡船が妙な揺れ方をして、運転手さんがこれは過去に大地震で感じた揺れと同じだと言っていたそうです。案の定、青森に降りると道路は地割れだらけでそれを避けながらバスを走らせたとのことでした。
北海道・三陸沖後発地震注意情報が出ているのでまたこのような地震が起きる可能性もあるということで、できれば起きないで欲しいけど備えはしっかりしておく必要がありますね。家族4人分の水、食料、携帯トイレ1日分でもかなりの量になるからそれぞれに持たせる必要がありますね。
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